悪戯者のとんち話と中世ドイツ

 ティル・オイレンシュピーゲルとは何者か   

 

1300年頃ドイツ、ブラウンシュバイク近郊の小さな村で生まれ、1350年リューベック近くの町で没したとされるティル・オイレンシュピーゲルの名がヨーロッパ中に知れ渡ったのは、没後160年の1510年に出版された民衆本がきっかけでした。その後500年の間、オイレンシュピーゲルを主人公としたさまざな物語が書かれ続けています。

ヘルマン・ボーテの書いた民衆本の表紙

ブラウンシュバイクにある噴水

オイレンシュピーゲルの像

 

エーリッヒ・ケストナーの

書いた児童書

1938年)

メルンにあるオイレンシュピーゲルの墓碑と伝えられている石碑 

レジュメ1 pdf_icon      レジュメ2 pdf_icon     阿部謹也訳 からの抜粋pdf_icon

 

1510年の民衆本の作者は、ブラウンシュバイク市の参事会員であった父親を持つヘルマン・ボーテです。彼は、名誉ある市民の家に生まれながら、足が不自由であったために賤民身分の徴税官吏という職に甘んじていました。昼間の辛い仕事から解き放たれた夜、執筆に没頭し、このベストセラーとなった悪戯話を発表しました。ボーテは、オイレンシュピーゲルという隠れ蓑を使って、同時代に生きた人々に一矢報いようと、筆を走らせたのではないでしょうか。1971年、やっと彼が作者だということが突き止められました。周到に作者であることを秘する必要があったのでしょう。

 

ボーテの時代から500年が過ぎ、彼が訴えたかったことを理解するのも容易ではありません。当時の人々がおもしろいと感じたとんち話も、今ではえげつないと感じるものも少なくありません。ボーテの生きた中世ドイツ社会の時代背景を考察しながら、いくつかの話の謎解きを試みました。

 

オイレンシュピーゲル縁の北ドイツの町や村では、教会の扉など思いがけない場所にも彼のモチーフが見られます。生家といわれる農家の前には大きな彼の立像がみられますし、没した町には墓標といわれるレリーフもあります。彼が実在したかどうかは疑問ですが、オイレンシュピーゲルという虚像が姿を変えながら次から次へと語り継がれ、あたかも実在の人物だったように人々の心のなかに生き続けていることは確かなのです。

 

 

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