朝日カルチャーセンター 公開講座 グリム童話を読み直す ヘンゼルとグレーテル
「森の奥のパンの家に棲む魔女」−グリムの手書き初稿(1810年)では魔女ではなく、小柄なおばあさんでした。グリムは、1857年の第七版まで採集した民話に手を加え続けました。1812年の初版からは、おばあさんは性悪な魔女であるというくだりが加わりました。 魔女という日本語が生まれたのは、明治時代。初期の翻訳では、「山奥のお菓子の家に棲む鬼婆」となっています。魔女も鬼婆も人食いの点は共通ですし、ヨーロッパでは森、日本では山が異界ですから、名訳といえます。似通ったモチーフを持つ伝承や昔話を検討しながら、なぜおばあさんが魔女に変わったのか、パンの家はいつお菓子の家になったのか、童話にたびたび登場するパンのモチーフは魔女とどういう関連があるのかを、考えてみました。 グリム兄弟が「子供と家庭のための童話」の改訂版を次々と発表していた頃、ドイツで発行された一枚絵を見てみましょう。一枚絵とは、中世から庶民に親しまれていた絵入り刷り物で、民話も題材に選ばれました。「ヘンゼルとグレーテル」と酷似した物語が載っているこの一枚絵では、娘がスコップのような板に女の人を乗せて、それを滑らしてパン焼き窯に押し込もうとしています。 広く知られているグリムの話では、魔女がグレーテルに背後から突かれて、パン焼き竈にのめり込むことになっていますが、1812年のグリム童話初版では、グレーテルがおばあさんをだまして板の上に乗せ、軽いので竈の奥へ押し込んだと書いてあり、1810年の手書き原稿でも、板の上に座ったおばあさんを窯に滑らして入れたことになっています。1843年の第5版からグレーテルが魔女を突いて押し込むという筋に変わり、この改変された話が1857年の第7版(最終版)まで採用され、広く定着しています。 なぜグリムは話を書き換えたのでしょう。魔女らしきおばあさんが乗った板は、伝統的なパン焼き窯で今も使われている、パンを竈に押し込む長い柄の突いた板です。魔女をこの板に乗せて焼き殺すという話は、どうやら古い形の伝承で、グリムの時代にはその板と魔女を結びつける意味が曖昧になったか、又は結びつけたくないという意志が働いて、よりわかりやすい窯の中に突き飛ばすという表現に変わったのではないかと思われます。
ヒエロニムス・ボス(1450年頃―1516年)が描いた素描では、魔女とされる女性がパン焼きに使う柄付きの板にまたがっています。魔女が飛行するときには、臼やパンスコップなどパン作りに必要な道具も使われました。 パン焼きと魔女が深く関わっている理由は、魔女のルーツのひとつが穀物霊であり、魔女は死と再生の自然の循環を司る古代の豊穣神の性格を色濃く持っているということと関係があるように思われます。「ヘンゼルとグレーテル」は、彼岸である森に住む穀物霊が、子供を殺して食べることによって新しい力を得ようとするが、死と再生の場であるパン窯で焼かれて富を生み出す、そのような古い伝承に基づいていると考えられるのです。子ども達が森から持ち帰ったのは、宝石ではなくて、パン焼き窯で焼かれた穀物霊が種籾となって蘇ったものだったのではないでしょうか。飢饉にくるしむ人々にとっては、宝石よりも種籾の方がずっと価値あるものだったに違いありません。 古代の民間信仰の神を否定するキリスト教のもと、昔話が変遷をとげ、穀物霊は性悪な人食いの魔女におとしめられていったと思われます。「ヘンゼルとグレーテル」の類話や、グリムの初稿などから考察しました。詳しくは、下記の資料をご覧ください。日本では紹介されていない類話を、翻訳して載せてあります。 レジュメ 1 レジュメ 2 レジュメ 3 初稿 類話1 類話2 一枚絵 |