ケストナーの生誕地、ドレスデンを訪ねて

 

Erich Kästner und seine Heimat, Dresden

 

ナチに迫害されながらもドイツにとどまり、数多くの児童文学や風刺のきいた作品を残した作家、エーリッヒ・ケストナー(Erich Kaestner 1899 -1974)。彼の生家と記念館のあるドレスデンDresdenを訪れ、彼の足跡をたどってみました。

 

第二次世界大戦でのドイツの敗北がほとんど決していた1945213日から3日間、この町は英米空軍の無差別爆撃にさらされ、町の7割が壊滅し、多くの市民が命を落とすという悲劇に見舞われました。ドレスデンは、エルベ川のほとりに沿ってザクセン王の居城をはじめ、後期バロックの荘重な建築物が軒を連ねてそびえるドイツでも指折りの美しい文化都市でした。軍事的に重要な施設があったわけでもないのに見せしめとして破壊されたと考えられています。 瓦礫の山と化した街を元通りの姿に復興しようとする試みは、60年後の今も続いていて街には槌音が響いています。20046月に街のシンボル、フラウエン教会(Frauenkirche)の外観が、多くの人々の苦労の末、世界中から集まった寄付金によって元通りに復元されたというニュースが流れました。ドレスデン爆撃に加わった英軍パイロットの息子は、銀細工師として教会の屋根の上にあった7.6メートルの巨大な金色の十字架の復元の陣頭指揮にたちました。ひとつひとつの瓦礫に番号をつけて、高さ91メートルの教会を復元するのは気が遠くなるような仕事だったことでしょう。20051030日には献堂式が行われました。現在この教会は戦争によって傷ついたヨーロッパ各国の友好関係を取り戻す和解の象徴とみなされています。

 

壊滅した街を元の姿に戻そうとするドレスデン市民の故郷への強い愛着と並はずれた誇りは、ケストナーの血にも流れていました。ナチに迫害されながらも亡命の道を選ばなかった理由を、彼は「故郷が僕を放さない」と述べています。故郷のイメージの中でも、生まれてから青年に成長するまでの1899年から1919年を過ごしたドレスデンと、戦争中もそこを離れようとしなかった両親の存在が、大きな比重を占めていると思われます。ケストナーが住んでいたケーニッヒスブリュッカー通り(Koenigsbruecker Strasse)は、壊滅した旧市街からエルベ川を渡ってすぐのところにあります。この通りから半径1kmの円内に、洗礼を受けた教会、学校、パン屋さん、花屋さん、体操の教室、おじさんの家、教員養成所、兵舎など彼のほとんどすべての生活圏が含まれていました。ケストナーの少年時代の出来事をつづった「僕が子供だったころ」 Als ich ein kleiner Junge warという作品の中には、子供の目に映った20世紀初頭のドレスデンの様子と、当時の庶民の生活が生き生きと描かれています。

 

爆撃の被害にあって彼のゆかりの建物はほとんどなくなっていると思いこんでいた私は、戦火を逃れたケーニッヒブリュッカー通りに建っている彼の生家のアパート(66番地)、青少年期を過ごしたアパート(48番地、38番地)、父母が最後まで暮らしたアパート(38番地)、伯父の邸宅(今は、ケストナー記念館になっている)を目のあたりにして、1世紀前にこの道を弾んだ足取りで行き来していた少年ケストナーの影を見る思いでした。労働者住宅のアパートは3部屋しかなく、家計を助けるため母親は寝室で美容院を営み、残りの2部屋を下宿人に貸していました。下宿人の教師に少年ケストナーはかわいがられ、蔵書を読むことも許され、彼の物書きとしての道が開けるきっかけとなったのです。

 

彼の遊び場所は、狭い住居ではなくアパートの階段や裏庭でした。下の詩に登場する、鉛でできた兵隊のミニチュアを並べて遊んだのも階段でした。48番地のアパートのすり減った階段板を見たときは、ケストナーとその家族の悲喜こもごものエピソードが身近に感じられました。

 

観光客の姿がほとんど見られないこの辺りは、2004年には建物の補修も行き届かず、杭で支えられている古い建物も見受けられ、ケストナーの時代の庶民的な地区の雰囲気が保たれていました。肉屋を営んでいた母方の伯父は馬の取引で財をなし、エルベ川近くのアルベルト広場に面した立派な邸宅を手に入れました。生活苦からなかなか解放されなかったケストナーの母親も、しばしば子供を連れてこの邸宅に出入りしていました。少年ケストナーにとってこの邸宅と庭は格好の憩いの場だったのです。第二次世界大戦後荒れ果てていたこの家は、改装され1999年、エーリッヒ・ケストナー記念館として公開される運びとなりました。遺品のタイプライターなどが展示され、書簡や写真などの文献資料を手にとって見ることができ、ケストナーについて知りたい人に広く門戸を開いています。

 

→ ケストナーと20世紀初頭のドレスデン

→ 2016年ドイツ語講座「僕が少年だったころ」

 

66番地の生家、5階の屋根裏部屋で生まれる

ケーニッヒスブリュッカー通り、この通りに面した3つのアパートで一家は暮らした

エルベ川にかかる橋を越えて、ケーニッヒスブリュッカー通りへと向かう市電

1才から12才まで、48番地の4階で暮らした

ケーニッヒブリュッカー通りの起点、アルベルト広場に面して馬の取引で財をなした伯父の邸宅があった 

伯父の家は、現在ケストナー記念館となっている

ケストナー少年のお気に入りの場所だった

48番地のアパートの階段

労働者住宅に囲まれている裏庭は、子ども達の遊び場

洗礼を受けた教会は爆撃で大破したが、祭壇は残った

ケストナーの反戦詩

ゲーテのミニヨンという広く知られた詩に、「君知るや、レモンの花咲く国」という一節があります。ケストナーが、そのくだりを借りて、戦争の影が忍び寄る1928年に、詠んだ「君知るや、大砲の花咲く国」という反戦詩を、いまだ砲火をもてあそぶ輩の絶えない現実に憤りをこめて紹介します。1899年ドレスデンに生まれたケストナーは、18才で第一次世界大戦に召集され,心臓病を患うほど上官にいじめられた経験を持っています。敗戦の混乱の中で台頭してきたナチと反動的な風潮を諷刺して、1928年ベルリンでこの詩を発表しました。この詩が載っている詩集は、ナチが政権をとった直後の19335月、ベルリンで焚書の憂き目に会っています。

 

Kennst Du das Land, wo die Kanonen bluehn   "Herz auf Taille" 1928

 

Kennst Du das Land, wo die Kanonen blühn?

Du kennst es nicht? Du wirst es kennenlernen!

Dort stehn die Prokuristen stolz und kühn

in den Büros, als wären es Kasernen.

 

Dort wachsen unterm Schlips Gefreitenknöpfe.

Und unsichtbare Helme trägt man dort.

Gesichter hat man dort, doch keine Köpfe.

Und wer zu Bett geht, pflanzt sich auch schon fort!

 

Wenn dort ein Vorgesetzter etwas will

- und es ist sein Beruf etwas zu wollen -

steht der Verstand erst stramm und zweitens still.

Die Augen rechts! Und mit dem Rückgrat rollen!

 

Die Kinder kommen dort mit kleinen Sporen

und mit gezognem Scheitel auf die Welt.

Dort wird man nicht als Zivilist geboren.

Dort wird befördert, wer die Schnauze hält.

 

Kennst Du das Land? Es könnte glücklich sein.

Es könnte glücklich sein und glücklich machen?

Dort gibt es Äcker, Kohle, Stahl und Stein

und Fleiß und Kraft und andre schöne Sachen.

 

Selbst Geist und Güte gibt's dort dann und wann!

Und wahres Heldentum. Doch nicht bei vielen.

Dort steckt ein Kind in jedem zweiten Mann.

Das will mit Bleisoldaten spielen.

 

Dort reift die Freiheit nicht. Dort bleibt sie grün.

Was man auch baut - es werden stets Kasernen.

Kennst Du das Land, wo die Kanonen blühn?

Du kennst es nicht? Du wirst es kennenlernen!  

 

君知るや、大砲の花咲く国 

 詩集 『ヘルツ・アウフ・タイレ 腰の上の心臓』                

 

君は知っているかい、大砲の花咲く国のこと?  

知らないのかい? どんな国か、そのうちわかるだろうよ!

そこでは、事業所の支配人達が、ふんぞり返って勇ましく立っている、まるで兵営であるかのように。

 

ネクタイの下には兵隊服のボタンがふくらみ、  

見えないヘルメットをかぶっている。     

顔はあるのに、頭の中は空っぽなのさ。    

そしてベッドにはいると、すぐに繁殖に精をだす!

 

その国で上官が何かを望めば        

- 何かをやらせるのが彼の任務なんだけど - 

理性はまず直立不動の姿勢をとり、そして黙り込むのさ。

頭、右! 背中を丸めて転がれ!

 

そこでは子供たちは、足には小さな拍車を、  

髪には分け目をつけて生まれてくるんだ。   

そこでは、自由な市民として生を受けることなんかない。  

そこでは、口をつぐんでいる者だけが昇進するのさ。

 

そんな国を知っているかい?幸せな国であったかもしれない。幸いの宿る国であることも、そんな国にすることもできたのに?

そこには、畑、石炭、鋼に石材、勤勉と力強さ、そして他にもたくさんのすばらしいものがある。

 

理性や善意を持っている人も、時にはいるさ!

そして本当の英雄精神もね。でも大勢じゃないんだ。

二人に一人の男の中には、子供心が潜んでいる。   

その子は鉛の兵隊さんと遊びたいのだけれど。

 

その国では自由は成熟しない。いつまでも未熟。 

何か建てれば - いつも兵舎になってしまう。 

君は知っているかい、大砲の花の咲く国のこと。       

知らないのかい? どんな国か、そのうち君にもわかるだろうよ。

                     

翻訳:岡部由紀子