ドイツ・エルツ山地の玩具

磨かれた伝統技法から生まれる逸品

ライフェンドレーエンは、ロクロに固定したドイツトウヒの丸太から複雑な凹凸のあるドーナッツ状の輪を削り出す伝統技法。この技を継承する数少ない工人、クリスチャン・ヴェルナー氏が工房でテレビ取材に応じて実演するのを撮影。 

削り出された輪を切断すると断面は、馬の形になっている。

動物などの木工製品を大量に作るために、18世紀末に考案された技法で、ザイフェンやその周辺の地域のみに伝わる。

(写真:工房提供) Foto: Werkstatt Christian Werner

 

クリスマス飾りに代表されるドイツ・エルツ山地の伝統木工品は、なぜ世界中の人々を魅了するのでしょうか?

2017年夏、目黒区美術館で「ヨーロッパの木の玩具展」が開催され、東独時代から現在にいたるアトリエ・ニキティキの蒐集品を中心に、数々の逸品が系統的に紹介されました。エルツ山地から連れ帰っていた私の人形たちも参加しました。伝統技術の保持者であるクリスチャン・ヴェルナー氏と後継者のアンドレアス・ヴェルナー氏による、本邦初のライフェンドレーエンの木工ロクロの実演も行われ、画期的な展覧会となったと感じています。図録の解説を執筆し、エルツ山地の玩具部門の監修に関わる機会を得て、改めてエルツ山地の人々が木工品に託した誇りと情熱に触れた思いです。展覧会場の様子と展示された玩具は、ブログ「めらん樹」で詳しく紹介しています。

 

エルツ山地のおもちゃ関連の記事(ブログ) http://melange.sblo.jp/category/4429402-1.html

 「エルツ山地の八百年と木工玩具」  図録に掲載した解説文pdf_icon  解説文の挿絵pdf_icon

目黒区美術館のアーカイブ  http://mmat.jp/exhibition/archives/ex170708

 

朝日カルチャーセンター立川、新宿、湘南の各教室で、ザイフェンを中心としたエルツ山地の木工品の歴史、鉱山業との関わり、伝統技法を継ぐ工人たちとその先達の仕事を紹介してきました。

 

公開講座・エルツ山地が木のおもちゃの聖地になるまで pdf_icon

公開講座・エルツ山地の鉱山業とクリスマスの木工品 pdf_icon

公開講座・エルツ山地の木工芸の伝統の技を継ぐ工人たち pdf_icon

公開講座・ドイツ・エルツ山地のクリスマス飾り pdf_icon

公開講座・クルミ割り人形の物語とフォークアート pdf_icon

公開講座・故郷の思いを紡ぐ玩具pdf_icon

 

 

  エルツ山地の木工芸の簡単な歴史

 

ザクセンの州都ドレスデンの南方50km、チェコとの国境に横たわるエルツ山地 (Erzgebirge) は、もともと鬱蒼とした森林地帯でしたが、12世紀に銀が発見され入植・開墾が始まり、銀に加え亜鉛、銅、錫などの鉱物の採掘が盛んに行われるようになり、「掘った鉱物は掘った人のもの」というお触れにひかれて、よりよい暮らしを求める農民や鉱夫がゴールドラッシュのように各地からやってきました。鉱石を意味するエルツ (Erz) と鉱山地帯や山地を意味するゲビルゲ (Gebirge) をあわせた地名がつきました。

 

鉱山業と並んで木材資源を利用した木工芸が盛んだったこの地方ですが、高値で取引された銀や亜鉛の採掘で栄えた地域と、比較的安価で取引された鉱物の産地では、作られた木工品に大きな違いがありました。豊かな地域では余暇の楽しみとして木彫品が作られることが多く、貧しい地域ではとにかく売れる製品をたくさん作ることが課題でした。現在ドイツを代表する木製玩具の産地であるザイフェン (Seiffen) とその周辺の地域は後者です。

 

ザイフェンでは14世紀に川での錫鉱石の採取が始まり、後に露天掘りや坑道を掘っての採掘も行われましたが、それだけで生計を立てることはとても無理で、副業を持つことが必須でした。標高650 – 700mに位置する寒冷な気候ゆえ農業収入も期待できず、鉱夫たちは周囲に豊富にあった木材を利用して木工品を作り副収入を得ていました。17世紀には、木の皿やボタン、紡錘などの日用品を作る木工ロクロ細工師という職業が文書に現れます。かれらは足踏みの木工ロクロを用いて、家で細々と木工業を営んでいましたが、時には自分の子供たちのために木の切れ端から遊び道具を作っていました。

 

18世紀半ばの錫鉱山の衰退に伴い、多くの坑夫が木工細工、特におもちゃ作りに本腰をいれるようになり、ザイフェンの木工ロクロ細工師の数は飛躍的に上昇しました。しかし、販売ルートを持っていなかった職人たちは、世界市場におもちゃの販路を持っていたニュルンベルクの商人や、仲買問屋に製品をを安値で買いたたかれました。中世から木のおもちゃを生産していたニュルンベルクは、木工玩具の生産と取引の中心地で、商人たちは数多くあったおもちゃ生産地を互いに競わせて、価格競争に勝った生産地から安く製品を仕入れていました。ザイフェンやその周辺で作られた木工品は、ニュルンベルクの商人に安価で買い取られた後、「ニュルンベルク製のおもちゃ」として数倍の値段がつけられて取引されることも多かったのです。皮肉なことにエルツ山地のあるザクセン王国(侯国)にも、そのような「ニュルンベルク製のおもちゃ」が出回っていました。

 

家族総出の長時間労働でも食べられるかどうかの零細な家内工業であったおもちゃ作り、窮乏生活の中から効率的に製品を作ることができる画期的な技法が18世紀末ににザイフェンで生まれました。その門外不出の秘密技法により、貴族や興隆してきた市民層がこぞって買い求めた木製の人形や動物を大量に作ることが可能となり、木製玩具の重要な生産拠点へと発展する道が開けました。その技法はライフェンドレーエン (Reifendrehen) と呼ばれ、ロクロに固定した丸太から複雑な凹凸のあるドーナッツ状の輪を削り出し、その輪を切断してミニチュアの人形や動物の原型を大量に作るものです(上の写真参照)。他のおもちゃ生産地では、木片を彫って一体ずつ人形や動物が作られていましたから、生産コストの面からとてもザイフェンに太刀打ちできませんでした。「ザイフェン製品」の名も、国内外に次第に知れ渡っていきました。手先の器用さと勤勉さを生かしたおもちゃ作りは小規模な家内工業として発展し、現在の工房の仕事に引き継がれています。

 

クリスチャン・ヴェルナー工房のミニチュア細工。ライフェンドレーエンで作られた牧夫と牧羊犬、羊たちと、ノミで削りだす伝統工法を用いた針葉樹のセット。

楕円形の箱は、鉋で薄く削られたドイツトウヒの板を曲げて作られている。ミニチュア細工は、昔からこのような軽くて丈夫な曲げわっばに詰めて出荷されていた。

ノアの箱船は1850年に出版された「おもちゃの見本帳」にも載っている人気の木工細工。クリスチャン・ヴェルナー工房を代表する製品で、ライフェンドレーエンの技法で作られた動物の原型を小刀で彫刻し、細かい部品を糊付けし、色を塗るまで、細かい手作業の連続である。